3年目の自己紹介。どうも!自称「世捨てびと」のカナモです!

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というわけで、いつものやつ言っときます。

 

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どうも!自称「世捨てびと」のカナモです!

 

今回は、ブログ開設3年目突入を記念して、改めて僕の自己紹介をしたいと思います。

 

このブログも徐々に見てくれる人が増え、出会った人に
「あ!そのブログ見たことある!」
と言われることも増えてきました。
本当に嬉しい限りです。ありがとうございます。

 

ネットで「世捨てびと」と検索すると1ページ目に僕の記事がズラッと並ぶのはとてもいい気分です。
まぁ「世捨て人」では出てこないんですが。

そして「カナモ」と検索すると、現在は2ページ目に出てきます。
これはまだまだやな。
トップに出てくる「金森隆志」さんに、勝手にライバル意識を燃やしてます。負けてたまるか。

 

話がそれましたが、早速自己紹介をしたいと思います。

あ、基本フザけた内容なんであしからず。

 

3年目の自己紹介

世捨てびと

それは世間から距離を置き、文明に頼らずたくましく生きて行く人物のことである。

by 俺

 

僕が世捨てびととして生活し始めたのは、2014年の冬のことです。

離婚・退職・住所不定など、人生の修羅場という修羅場が1度に押し寄せてきました。

そしてそんな人生に嫌気が差し、28年間生きてきた「文明人・金本隆洋」という自分を捨て、【世捨てびとカナモ】として新たな人生をスタートさせることにしました。

 

生い立ち

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少し長くなりますが、僕の生い立ちを包み隠さず赤裸々に紹介したいと思います。

 

小学生時代

岡山県北部のど田舎に生まれ、幼いときから野山を走り回って過ごしました。
当時ハマってたのは「秘密基地」です。

秘密基地づくりは、男子なら誰もが1度はやったことがあると思います。
しかし僕の秘密基地はよくある子供の遊びとは一線を画していました。

 

まず基地を作るのは山の中です。

絶対に誰も来ない山奥に資材を運び込み、子供だけの楽園を作りました。
実家が自営業の建築屋だったんで、木材や工具類は山ほどあり、秘密基地の発展に大いに役立ちました。

時には自然にできた半洞窟をスコップで広げてみたり、山奥の神社に侵入してみたり、秘密基地への探究心はとどまる所を知りませんでした。

 

そして秘密基地ですることと言えば、エロ本をみんなで見て「おお〜!!」って言うか、当時流行ってた初期のポケモンで遊ぶかです。

 

小学校の帰りに道端でエロ本見つけた時の高揚感はヤバイです。
脈拍が普段の3倍くらい早くなります。

辺りを注意深く確認し、そっとページをめくる。
そして目に飛び込んでくる女性の裸!

はやる気持ちをなんとか抑え、何も入ってないランドセルに素早く隠す。

はたから見れば、明らかに挙動不審なエロガキ。

そして家に帰らず、秘密基地で友達と読みふける。
これぞ性しゅ…青春。

 

中学生時代

そんなエロガキにも思春期が訪れます。

中学校では男女比率で言うと女子が多いソフトテニス部に入部。
入部理由はそれだけです。
別にソフトテニス部に入りたくて入ったわけじゃありません。

ただ単に女子との接触が多い運動部に入りたかったんです。

 

しかしソフトテニスは楽しかったですよ。
気がつけば誰よりも一生懸命練習していました。

しかし成績は全然ダメでした。

 

高校生時代

高校に入ると、バスケ部に入って1日だけ練習に参加し、すぐに退部しました。

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安西先生、バスケを辞めたいです…

てな感じでね。

 

その代わりに始めたのが「ブレイクダンス」です。
これにはドップリとハマりました。

 

隣の市にある工業高校の建築科に通ってたんですが、朝4時半に起きて家を出て、始発電車に乗って高校の近くにある運動公園でひとりダンスの朝練。

1時間半ほど踊ったあと学校に行き、授業中はしっかり眠って体力回復に努めました。我ながら勤勉。

授業が終わると、いつものメンバーで運動公園に集まり、終電間際までひたすら踊り続けました。
休日には商店街や無人の競技場の玄関前で朝まで踊り続けました。

 

長期の休みには地元のクラブでダンスイベントに参加し、ダンスバトルやショータイムなど、普段の練習の成果を出し切りました。
時には自分たちでイベントを開くこともあり、寝ても覚めてもダンス一色でした。

この時期は夜が僕の世界でした。高校生なのにとんでもないヤツです。

今なら間違いなく補導されてますね。
ていうか別件で補導されました。

 

無期停学を食らい、高2の夏休みはずっと学校に通って補修をさせられました。

ほんとうなら退学処分になるとこだったんですが、担任の先生の嘆願によって退学は免れることができました。
その先生には本当に感謝しています。

 

どうでもいい話ですが、朝までダンスしてると途中で眠くなることがあり、結構路上で寝たりしてました。
その経験が今に活かされているような気がします。

 

高校卒業後は、センター試験に向けて猛勉強してる同級生をよそに、推薦で大阪の専門学校に行きました。
正確には勉強したくないんで、空いてる推薦枠に立候補した感じです。

 

専門学校生時代

専門学校で勉強したのは「空間デザイン」です。

 

両親には申し訳ないんですが、当時の僕は祖父母による「長男は家業を継ぐのが当たり前」という見えない呪縛によって建築系の学校に行っていました。

なので建築を勉強したい他の学生と違い、僕の勉強に対する熱量は皆無でした。
とりあえず卒業できれば良いかと思って勉強してました。

エルサも「少し寒いわ」って言うくらい冷めてましたね。

 

専門学校時代にやってたのは路上ライブとクラブ通いと合コンです。

この時の路上ライブ仲間が、のちの「香川のWEB屋」こと矢野キチという男です。
このブログにチョコチョコ登場してますが、この男なくして今の僕はあり得ません。

 

まぁそんな感じなんで、当然建築系の仕事には1度も就きませんでした。

 

社会人時代

専門学校卒業後、1番最初にやったのは「バイク便」です。

この時はバイクに乗るのが楽しくて仕方なかったです。
ライダーには「風を切って走るタイプ」と「風になるタイプ」の2種類がいますが、僕は後者です。知らんけど。

 

 

その次はSEO対策(webサイトを検索結果の上位に表示させること)の営業をやりました。
といっても数ヶ月ですが。

 

 

次はネット回線の電話営業をしました。
しかし当時の僕は喋りが絶望的にヘタだったんで、なかなか業績が上がらずドロップアウト。
口ベタなのは今もそんなに変わってないですけどね。

 

 

そして今度は商社に勤めました。
取扱商品はパソコン関連商品です。
ここでも持ち前の口ベタを発揮し、会社に馴染めずサヨウナラ。

 

 

因みに、この時期に僕は結婚しています。

 

 

1番長かったのは次に勤めたネット回線の案内業務」です。

簡単に言うと、家電量販店にいるインターネットのお兄さんです。
そこで何故かそこそこの成績を収めることができ、自分に自信がつきました。

そして2年ほど続けたところで、量販店勤務のネット受付スタッフに、ネットのノウハウを教えるインストラクターとして従事しました。

この時の「人の役に立ってる感」と「自分で仕事を作り出す感」がとても楽しかったです。
勿論それに比例して責任も大きくなりますが。

 

 

とても良い仕事だったんですが、大元であるNTTの大幅な組織改編に伴って、僕も新たなことを始めようと思い立ち、次は「ディスプレイ関連の仕事」を始めました。

大手百貨店の装飾や、定期的に行われる催事・イベントの什器や内装を作り上げるのが主な業務で、僕は会社の倉庫でそれらの什器のメンテナンスや配送を主にやってました。
本当に楽しかったです。

しかし残業がハンパない業界です。
什器の搬入は、店が閉まってからでないとできません。
なので昼間は倉庫で什器をメンテナンスしてトラックに載せ、夜の9時から搬入を開始して、終わるのは深夜2時というのが当たり前でした。

愛知県や山口県などの遠方に行くこともあり、その場合は朝7時とかにやっと終われます。

そしてなんやかんやあって、その仕事を辞めることになりました。

 

 

最後に働いたのは、「環境アセスメント事業」です。
簡単に言うと工事現場での振動・騒音調査や、水質検査などです。

これは本当に楽しかったです。
他の会社には申し訳ないけど、こんなに楽しい仕事はやったことがありませんでした。

 

そしてここでならずっと働けると確信した矢先、僕は離婚しました。

 

正直めちゃくちゃヘコんで、自暴自棄になってたと思います。

僕が仕事をする最大の理由は「家族を守るため」と言うものだったんですが、それが突然消えてしまうと、どんな良い仕事も僕にとって意味のないものになってしまいました。

 

山が人生を変えた

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離婚前後の数ヶ月は本当に苦しかったです。
今まで味わった挫折の中で、間違いなく1番キツかったです。

ソフトテニスの比じゃないです。

 

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俺の人生って何なんやろ
kanamo
俺がここで今生きてることに意味なんてあるんかな

 

本当にしんどい自問自答でした。

 

そして答えを求めるように、セブンイレブンで買ったコーヒーをボトルに入れ、夜明け前の六甲山に登りました。

 

真っ暗な登山道は、まるで僕の心を映しているかのようでした。
ヘッドライトの明かりだけが、行く先を頼りなく照らしています。

 

しばらく登った後、見晴らしの良い場所に腰をおろし、コーヒーを飲みながら朝日を待ちました。

 

 

そして僕はそこで、自分の人生の意味を悟りました。

 

 

昇ってきた朝日が、遥か下にある街を照らしだしました。
海はキラキラ光り、街のネオンは徐々に薄らぎ、車はミニチュアのように小さく、ここにはなんの音も届きません。

 

本当に、本当に美しい夜明けでした。

 

 

僕は泣きました。本気で泣きました。
誰にも聞かれてないから、今まで溜めてたものを全て出しきりました。
もう一生分泣いたと思います。

 

手元にあるのは登山道具とコーヒー。
これが僕をどん底から救ってくれました。

 

kanamo
そう言えば、俺って昔から山が好きだったなぁ

 

結局自分の原点はここなんだということに気づき、泣きながら、笑いました。

28年も遠回りしてただけで、答えはずっと自分の中にあったんです。

 

僕の生きる道

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このブログは、僕に生きる意味を与えてくれた山や自然への恩返しです。

そして同じように山や自然を愛している人たちへのメッセージでもあります。

 

今まで色んな人に散々迷惑をかけてきました。
それは一生かかっても償いきれないのかもしれません。

でも人生に輝きを取り戻した今、僕は「恩返し」に人生を捧げることを決意しました。

 

そして僕が今できる恩返しは、

人を愛すること。
自然を愛すること。
世界を愛すること。

大げさかもしれませんが、ほんとにそう思っています。

 

今まで興味すら持たなかった献血に行くようになったり、街なかでフリーハグしたり、沢山ありがとうと言うようにしたり。

 

その日僕は、今までの自分の一部を山に捨ててきました。

つまらない自分と社会への依存を捨てたからこそ、僕は「世捨てびと」を名乗っています。
思いつきでつけただけの名前ではありません。

 

 

人生とは常に「あなたの選択」によって作られています。
そこに他人の入り込む余地はありません。

「この道を選んだけど、本当にこれでよかったのか。」

「もっとこうすれば良かったんじゃないだろうか。」

そこに答えはありません。
だからこそ人は思い悩んで道を見失うんです。

 

でも安心してください。
あなたの選択は常に正しいんです。

 

僕はそれを自分の人生で確信しています。

思い悩んだことも、挫折したことも、「今の自分」になるために必要なことだったんです。

 

さいごに

以上が、僕の全てです。

早い話、全然ダメでずっとフラフラしてるアホです。

 

でもこんな僕でも誰かの役に立てたり、人を愛することができます。

 

僕は死ぬまでこうやって生きていくつもりです。
こんなイカれた男ですが、よろしければ今後もお付き合いください!

 

多分心の奥をさらけ出すのは、これで最後になるかと思います。

 

 

もうすぐ「YouTubeでサバイバル実況」

というものに挑戦します。

多分アホみたいなことばっかやってるとは思いますが、よかったら見てください!
僕の生き方を、この新たな試みでみなさんに知ってほしいと思っています。

 

kanamo
自己紹介終わり!!

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2 件のコメント

  • とても感動しました。読みながら、泣いちゃいました(笑)
    ありがとうございます^^

    私も、ひとりで山に登るのが好きです。
    他人から見たらくだらないようなことでものすごく落ち込んだりしますが、山に登ると、すっ飛んでいきます。

    「自分の選択は正しい」
    カナモさんの言葉、いつも心に留めておきます。

    これからも、ブログ楽しませてください(*^^*)
    ありがとうございます☆

    • ピヨ様

      こんな人間の言う事でも感動してくれる人がいるというのは、とても幸せな事です。
      やはり僕の選んだ道は間違ってなかったと確信することができます。

      ありがとうございます。

      これからも、みなさんに面白いと思ってもらえるように頑張ります!

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